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野々村竜太郎を笑うな

政務活動費の私的な流用という瑣末な問題はあるにせよ、一連の騒動に見られる、野々村竜太郎元議員の常軌を逸した行動にスポットを当てて嘲笑うような報道は見ていられない。

議員辞職に至ったそもそもの問題については特に触れないが、一自治体の税金問題を扱うにしては大きすぎるように思う。というか最早注目されているのは問題の本質と離れて野々村元議員のまさに一挙手一投足だ。

号泣会見から始まり報道で繰り返し映像として伝わってくるのは、野々村元議員の異常さ、そしてそれを嘲笑う人々の表情だ。

自分の感覚としても野々村元議員は異常な部分があると思う。普通ではない行動があると思う。しかし単純に嘲笑うことはできない。それを笑うということは、自分は正常であって彼は異常だと決めつけることだ。想像力の欠如だ。自分はそういう人間にはなりたくない。

尊敬する知人が「何か事件が起こった時に被害者ではなく加害者の心情を慮ることが大切だ」というようなことを言っていた。同感だ。最近読んだ中島らものエッセイに、友人と街を歩いていたらもさんが、道端にうずくまり動かないホームレスのおっちゃんを一瞥し何事もなく通り過ぎかけ「あかん」とはっとし振り返ったという話があった。そういうことだ。

自分と野々村竜太郎氏との間にある違いは何か。彼が社会との間に起こした摩擦を自分が起こさないでいられるのは何故か。議員という特殊な環境が個人にどう影響を及ぼすのか。自分がもしそういう環境にいたとしたら。彼が異常とされるとして、その異常とされる部分に少しも自分が入っていないと言い切れるだろうか。正常ってなんだ。