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二種類の書店が存在する

ガケ書房の頃

ガケ書房の頃

読んだ。

ガケ書房の誕生からホホホ座に至るまで、店主の過去から現在に至る物語が書いてある。

昔京都の左京区に住んでいたことがあって、その頃同棲していた彼女が京都造形芸術大学に通っていたこともあり、ガケ書房の前は何度も通り過ぎたことがあるのだけど一度も入ったことはなかった。その頃は毎日が忙しく心に余裕がなかったせいかもしれない、入ってみようかという気がなぜか起こらなかった。

京都での生活は散々な結果に終わり、同棲していた彼女とも別れ、そんなこんなで京都にはあまり良い思い出がないけれど、大阪に移り住んでからもいつかガケ書房に行ってみたいなと思っていた。しかし今はもう存在しない。

本の中で印象的だったのは「書店には確認のための書店と発見のための書店がある」といった内容の文章だ。

確認のための書店というのは、コロコロコミックやジャンプなど名前を知っている本を探しに行く書店。探している本は決まっていて、それがそこにあることが重要な書店。自分も紀伊國屋ジュンク堂など大型書店によく入るが、目的は新書や新刊の目立つ棚を見て回ることで、世の中の流行や雰囲気を知ることだったりして、そういうことも「確認」ということに含まれるのかもしれない。

対して発見のための書店というのは、自分が知らなかったり、そこに行くまで興味もなかったような本に出会うということが目的の書店。提案型という言葉にも置き換えられるかもしれない。こじんまりとした古本屋や個人書店が思い当たる。ガケ書房もそういった書店であったようだ。

そういった書店に対する考えが書いてあったり、本を読むことであったり、大きく言うと生き方とか、色々な視点について考えさせられる本でもあり、個人的なエッセイのようでもあり、とても面白い本でした。

KYOTO WORLD

京都はワールドにてRichie Hawtinを見た。

木屋町は猥雑で、客引き・ナンパ・パリピの巣窟でありミナミよりヤバみがあった。ワールドはものすごい熱狂で京都のイメージとはかけ離れたチャラさを醸し出していた。床がこぼれたドリンクの類でベットベトだった。サイゼリヤのグラスワインとワールドのスーパードライの飲み合わせが悪かったのか途中ものすごい吐き気に襲われ高瀬川にちょっと失礼した。クラブ内ではやたらテンションの高い男に「やばいね やばすぎるよね」と話しかけられヤバかったが、その後なぜか盛り上がった俺達はフロアで熱い抱擁を交わした。

クラブのイベントで朝までフロアで踊り明かすというのは初めてだった。だいたいいつもどこかでへばって早く始発で帰りたいなとか思ったりするけど、昨日はそれがなかったからすごくいいイベントだったんだと思う。最後の方はチャラい外国人とガチのクラバー達が盛り上がりクールな一体感があった。クラブの好きなところは何かと問われれば、自分が溶けていく感覚だと答える。もみくちゃでステップを踏み手を上げれば自意識は消えていく。もっとそうなりたい。言葉に置き換えるとチャラチャラしたいということになる。俺はもっとチャラチャラしたい。

経済

悩みの種である腰痛は一進一退。身体的負担の大小がダイレクトに腰に跳ね返ってくる。よって仕事量は減らし気味。仕事減った分プライベートの時間を充実させらればと思うけどなんだか手持ち無沙汰な感じです。

仕事量を減らせば当然給料にも反映されるわけで、身体的な負担を減らしながらお金とどう折り合いをつけていくかを最近よく考えるようになりました。短絡的な考えとして、自分があまり働きたくないのであれば、お金にも働いてもらえばよいのではないかと思い至ったりして、NISAやiDeCo(確定拠出年金)を検討したりしています。あと将来的な働き方とかも。最近は経済についての新書を読むことが多いです。マネーマネーな感じです。

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)

上記の本は特に経済的な知識が得られたりというものではないですが、経済(お金)という言葉に対して抱きがちな偏見を拭い、目線をフラットにならすのに良い感じでした。自分自身が不安定な時に、足場から見直すのが大事なんじゃないかなという感覚で、経済についての興味が増している今日この頃です。

ハンバーグ

知る人ぞ知る昭和町の名店BOSTONにてハンバーグを食った。油の染み付いた店内で思ったより若々しい店員が肉をこねて焼いていて独特なハンバーグな雰囲気があった。うまかった。最近はなんだかやたら肉が食いたくなる。

谷六にて坂に萌える

仕事前に谷六界隈をぶらぶらしてみるとここらへんは初めてでなんとなくアートな雰囲気。下町っぽいんだけどアート。うまく形容し難い。急に現れた高低差に萌え萌えでした。

京都でムビラを聴く

BANBARAMBIRAというイベントを知り京都は安楽寺へ。ムビラというのはジンバブエの楽器で、演者さんの話によると打楽器(太鼓)の一種という括りであるらしい。見た感じは鍵盤のミニチュアのような感じで、金属の鍵盤の端を指で弾いて音を出しているように見える。複雑に倍音が重なり、時折バシャーンバシャーンという霧のような音が混じる、なんとも不思議な楽器である。

夜の安楽寺の本堂で反復するムビラの音色に耳を澄ましていると、段々トリップして異世界に足を踏み入れたような感覚に陥る。周りでは聴衆が目を瞑り身体を揺らしている。庭でふらふらと踊っている者もいる。現実と異世界の境目にあって何かが滲み出してきていた。少し怖くなり霧雨の中を帰った。やばかった。


腰痛

腰が痛いと腰の痛みについてしか考えられなくなるのがつらい。本当につらい。

今までも職業柄、腰の痛みとはお付き合いしてきているのだが、ここのところ、負担が腰の痛みになって出てくるまでのハードルが下がっていてやばいように感じる。ちょっと働くとすぐ痛みになって返ってくる。働くの向いてないのかもしれないような気持ちになってしまう。たぶん向いてないんだけど。

身体の不調は精神を侵す。どこそこが痛いというのがあると、それしか考えられなくなるので、健全な身体をお持ちの方は健全なうちから気を付けておいた方がいいです。ご自愛ください。